こんにちは!あぼちゃんです。
医療学生だった頃、1番かかりたくない病気は何か考えたことがあります。もちろんなんの病気にもかからないに越したことはありません。しかし病気について学んでいくうちにこの病気は特に怖い、と思うことがありました。私は臨床工学技士だったので人工透析について勉強することが多かったです。悪性腫瘍はもちろん怖いイメージがあったし腎不全になり、透析を受けなければいけないことも怖いことだと感じていました。
私は小学生の時から、将来は平凡な暮らしがしたいと思っていました。普通に働いて、結婚して、出産する。贅沢はできないけれど家族仲良く過ごせたらそれでいい、それがいい。そう思っていました。そして、当たり前にそれが叶うとも思っていました。まさか自分がうつ病を患うことになるとは夢にも思いませんでした。本当に、1mmも思っていませんでした。
私ははじめに身体症状が出ました。仕事中動いたわけでもないのに動悸がして、立っているだけで息苦しくなり胸が痛くて心臓の病気になってしまったのかと不安になりました。循環器内科に受診し、一通り検査を受けましたが異常はありません。こんなに苦しいのに…と悩む日々でした。やはり症状は消えなくて、別の循環器内科を受診したところ心療内科受診を勧められました。職場環境に違和感を覚えていたので、ストレスもあるのだろうと心療内科を受診しました。初めに受診した近所の病院ではあまり話を聞いてもらえなくて処方をされるだけでした。身体の不調に加えて職場への不安、恐怖で職場へ行くのが怖くなっていきました。通院に時間はかかるけど大きな心療内科へ通うことにしました。カウンセラーさんや医師が話を聞いてくれて、抑うつ状態と診断されました。
服薬しながら働きました。職場環境は変わらずストレスはたまり(男性職員数名からのハラスメント)、ある時立て続けにミスをして、もうダメだと思いました。どこか遠くにいかなければ、という衝動に駆られました。なんとか乗り切り仕事終わりに遠くの海へひとりドライブに行きました。気がついたら泣いていました。死にたいと思いました。翌日定期受診を早め、主治医から休職してはどうですかと提案がありました。ちょうど1年前です。
この年、7年間付き合っていた男性と結婚を前提に同棲生活を始めていました。本来なら楽しいはずの同棲生活、私は毎日理由もなく泣いていました。彼も困っていたと思います。迷惑をかけていることがまた辛く、余計に泣けてきました。
休職をして、仕事へいかなくてよくなった安心感はありつつも普通に働けないことへの罪悪感がありました。
うつ病のつらさは、当たり前だと思っていたことが簡単に崩れることだと思います。他の病気と同じです。かつ、目で見えにくいことなので周りの理解が得られないと余計にしんどいです。私の場合、外出はできました。人と会えばそれなりに明るく振る舞えます。家に帰るとスイッチが切れたように体が動かなくなりました。それを知らない父親は、怠けるなと、せっかく大学に行ったんだから働けと平気で傷つくことを言ってきました。母は昼寝をするな、寝過ぎも良くない、と心配して良かれと思って、傷つけてきました。突然来る死にたい、消えたい、遠くにいかなければという衝動と戦いながら毎日を過ごしました。
「うつ病の症状」と検索すると、動けない、朝起きられない、外出できない、目も開けられない、などと出てきます。それなのに、私は動ける。実は甘えて怠けているだけかもしれない、と自分を責める時もありました。そんなとき主治医が「うつ病は人によって症状が様々。目も開けられないような方もいるがそれはもう入院の対象になる。ほとんどの患者は波はありながらも日常生活を送っている。元気に動けるからといってうつを否定することにはならない」と言ってくれました。その言葉に救われたように思います。私以上につらい人はいる。でも私もつらいんだ。と思えました。
長くなってしまいました。続きは次回更新します。最後までお読みくださりありがとうございました(^^)
コメント